2004/09/03 | 戦争の記憶と和平への想い
类别(个人随笔) | 评论(0) | 阅读(84) | 发表于 15:24
戦争の記憶と和平への想い
サラー・フアン

実は、細菌とラボ動物のために建てた供養塔のことを始めて聞いた時に、最初の反応はひどくとげとげしかった。「本当の同情心があるなら、始めからそのものを殺さないの方が合理ではないのか」と考えた。そして、「細菌とラボ動物の魂をこんなに重大視しても、太平洋戦争の被害者の供養塔は今までどこだ」も思った。

東亜研究の学生として、それ以上に中国で生まれた人として、日本人の戦争の記憶に興味があるのことは当たり前だろう。大学の授業で、そのトピックを探究することがある。然し、勉強すれば勉強すると(日本のことだけではなく、政治と歴史の全て)、日一日と悲観的になる。この危ない世界は蜘蛛の巣のようだ。

マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー先生の「敗北を抱きしめて---第二次大戦後の日本人」という新著から、「戦敗した時に死者に何を言える」という字句がある。更に、その「国民の戦争」が不義理で侵略的な戦争を言われた時に、国民の一人はどうする。そんなことを考えると、気が遠くなる。私の知るかぎり、確かに日本では戦争の記憶は「戦争の犠牲者」の方が多そうだ。その歴史観から「平和は尊い、戦争はいけない」と言っても、本当の平和を来すことはいつまでもできない。

ブレット・ディバリ先生の授業で広島の原爆犠牲者記念祭のドキュメンタリーを観たことがある。灯籠に犠牲者の名前を書き、そして闇の中で海へ船出させる。灯籠の一つには「世界平和」も書いた。「和平なんてきっと永遠にどこにもない」と感じただから、それを見た時に無力の気持ちで泣きたくなった。政治の真髄を窺い知るために荒んだ心を誇りに思う私は、有名な「火垂るの墓」を見る時もずっと涙を一滴も流さなかったのに。和平の可能性を信じたいけれど、やっぱり信じられない。ようするに、大学文系教育の長所の一つは「スケプチシズムが必要だ」を教えることだから。

それで以下のような寓話を思い出す:

三つの越冬地へ空を飛ぶ雁があった。一つの雁はまだ若いので、相当高慢だった。一つはもう傷ついたので、気が弱かった。もう一つはなかなか深謀遠慮だった。地面には一人の猟師がいった。若輩の雁は猟師を見たものの、楽観的な態度を変えなかった。「俺はあいつには早すぎる」と思って、躱すなんてことを全然考えなかった。だが、すぐに猟師の弓矢で命を落とした。 反面に、傷ついたの雁は猟師にびくついてしまって、「きっとここで死ぬ」と思った。実は運よく、猟師の弓矢は彼を射殺すことができなかった。それでも悲観的で壊れ易い彼は弓矢の音を聞き、自分に命中させると思い、もう覚悟したままで地面に落ちた。最後の雁は相方の果てしを見て、一寸の間によく考えた。彼は猟師を回避し、そばの密林に入った。密林にも危険性があったけれど、猟師の弓矢よりではなかった。二つの戦利品で満足した猟師はそれ以上追い掛けなかった。

その凄腕な雁のように、すごく尊敬している先生達はこの世界を変える為に東奔西走の日々を送られている。コーネルの政治学科では今日本を専門とする教授はいないけれど、中国の専門者であるカルソン先生はいつも中米関係の改善と国際協力の可能性を主張している。そして、反戦運動の前線で大活躍しているの教授も本当に多い。彼らの努力を見る私は、自分の懐疑主義にも疑いがある。今はよく分からないけれど、彼らの理由がだんだん分かっていくはずだ。
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